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 2020年9月からは「論理スキーマ 西田の現代文」というタイトルでパワーポイント動画をYouTubeにアップし始めました。その関連記事は本サイトの「ブログと更新情報」ページにありますから、ご確認ください。

本サイト各ページには「評論スキーマ」を身に付けてもらうために用いた大学の評論問題の解説や正解、コラムなどを掲載していますので、ご覧ください。
 また、可能な方はパソコンでご覧になれば、図表や記事も読みやすいと思います。

●このサイトの目的●

 本サイトは、中学生や高校生の皆さんに自由に閲覧してもらい、大学の入試問題で用いられた評論や随筆といった良質な素材文を読み解きながら、その読解のプロセスを通して論理的な思考力・判断力・表現力を高めるため、皆さん自身が自学自習できるようにウェブ上に公開したものです。
 
 大学入試における現代文(特に評論)の問題や教科書に掲載されている評論などは、みな同じ発想や問題設計(共通の論理的な構造をもつ文章)で作られていますから、本サイト掲載の評論や随筆はいずれもどの国公立大学で出題される論理的文章それぞれに共通した論理構造を理解するのに最適な素材を精選しています。

 入試評論でもよく引用される「近代言語学の父」ソシュールも、言語について「すべては対立として用いられた差異に過ぎず、対立が価値を生み出す」と対立的概念を示す記号としての言語の役割を語っているように、入試に出題される論理的な文章は本質的に対立する二極をもった価値体系軸が問題設計の基本になっています。

 さらに、教育の世界でも21世紀型能力(コンピテンシー)が求められる中、国公立の入試も論理的思考(推論による論理の構造化)を中心に測定する問題へと変わってきています。特に2017年度以降ではその傾向が顕著になり、旧帝大系を中心にしてどの大学も全体の論理構造がはっきりとした文章を出題し、皆さんの論理的思考力を引き出そうとする問題となっています。

 前述しましたが、評論や随筆をもっと確実に速く読めるようになりたいと思う高校生の皆さんは、評論など論理的な文章の構造的な特徴が分かっていれば、「演繹的推論」が容易になって文章の「論理の構造化」が効率的よく行われ、正確な「思考・判断」や適切な「表現」が迅速に進むようになります!

 なお、〈本講座の趣旨〉並びに〈コピーライト(著作権)等に関する注意事項〉については、本ページ最下部に記していますので、お読みください。

チャプター1:読解力は、ブラックボックス?

★評論や説明文における「論理」って、そもそも、どんな構造をしているのだろう?
 「論理」とは物事を考えるときの「思考・判断」の「道すじ(筋道)」です。「道」にたとえられるぐらいですから、論理にはには出発点と到着点があり、その二つの点を結んだ「論理の道(価値の体系軸と呼びます)」という一本の線で表されます。

 たとえば「個人」と「集団」という二つを視点があれば、その二つの点をつなげたときに思考のプロセスである「すじ道」、つまり「論理」が生まれるのです。そのような人間の概念的な思考力の始まりは人間だけに与えられたものであり、その能力については、このページのチャプター4で図を用いて簡単に説明します。

★小学校の頃から既に学んでいる説明文の論理構造
 次の図は、光村図書の小学校4年生用「国語」教科書に載っている「アップとルーズで伝える」という文章の論理構造を図で表したものです。4年生ともなれば小学生もかなり論理的に物事を考えるようになってきますから、論理的思考力の芽を育てるものとしてこの「アップとルーズで伝える」という教材は非常に有名です。皆さんの中にもひょっとしたら記憶している人もいるかもしれません。

 この説明文は、サッカー中継において、テレビ画像に映し出された選手個人の「アップ」の画面と、フィールドと観客席の全体を捉えた「ルーズ」の画面を視覚的に二項対立で比較します。

 そして、「アップ」の画面が映し出した選手個人の表情と、フィールドと観客席全体の状況を二項対立的に比較します。この二項対立のふたつの軸で、集団と個人の関係や「アップ」の画面と「ルーズ」の画面のメリットなどを、子どもたちに解き明かしていく文章です。

 つまり、画面の「アップ」VS「ルーズ」という二項対立の軸に、「個人」VS「集団」という二項対立の軸を交差させる論理構造によって、「目的に応じた効果的な情報伝達の方法」を子どもたちに説明した文章なのです。そして、小学校の先生はこの教材の学習を通して、子どもたちに二項対立による論理的な思考力や表現力を、きちんと丁寧に指導されています。その点で、子どもたちの言語活用における論理的な思考力を育成する人たちとして、小学校の先生方は本当にプロフェッショナルだなあとつくづく感心します。

 注:二項対立って何?
 私たちの日常的な言語での論理(自然言語における論理)は、二項対立(=二値論理)です。
 →「Aとは何か」=「Bではないもの」のように、A⇔Bの排他的・対立関係(二項対立の関係)の中で物事の意味や価  値を判断し、説明していきます。

★高校の教科書レベルの評論や大学入試評論などの論理構造は、どうなってる?
 高校1年生用のベネッセ進研ゼミの教材で用いられた河合隼雄氏の文章が、どのような論理構造をもっているかを図として示したものです。

 この『家族関係を考える』という文章も、家族内には親子は血縁関係があり、一方、夫婦には血縁関係がない赤の他人であるという考え方・見方を前提にして、その「血縁の有無」というものを二項対立のひとつの軸にしています。

 その上に、一般的・社会的な人間関係における上下関係(縦の関係)と公平な関係(横の関係)を重ねているのです。つまり、血縁の「有りVS無し」に社会的な「縦の関係VS横の関係」という二項対立のふたつの軸を交差させる図式、いわゆる論理構造で家族関係の意味やあり方を考察しているのです。

★大学入試の評論問題の論理構造は?
 次の図は、いわゆる難関大学と呼ばれることの多い大学をいくつかピックアップし、28年度評論問題の全体の論理構造を並べて示しました。

 東大は、「知性」の働きを考えるとき、社会における「個人VS集団」という軸に、今も世界を席巻する二大潮流となった「知性主義VS反知性主義」の軸を重ねて、「知性」の本来的な働きの真の意味を考察した文章。(詳細な解答解説は、ページ「スキーマと評論(センターや東大など)」に掲載)

 九大は、現代人の行動の結果責任を考えるとき、行動の結果が「予見可能VS予見不可能」という軸に、行動の結果に責任の「有りVS無し」という軸を重ねて、現代社会における「自己責任」の意味を考察した文章。(詳細な解答解説は、ページ「京大,九大,難易」に掲載)

 京大は、中世ヨーロッパの人々の「情報伝達」のあり方を考えるとき、情報の「送り手VS 受け手」という軸に、情報伝達の方法の依拠するものとして「聴覚VS視覚」という軸を重ねて、「情報伝達」の意味やあり方を考察した文章。(詳細な解答解説は、ページ「京大,九大,難易」に掲載)

 いずれも、これまでに示した小学校4年生用の教科書や高校1年生用の問題集で扱われている説明文と、文章全体の論理構造は変わりません。論理的な思考のプロセスは同じだということです。このことに関して、なぜそうなるのかの理屈を知りたい人は、このページのチャプター4チャプター5で補足説明しています。

 もちろん、高校時代の教科書や大学入試で扱われる評論は、文章の中の語彙や表現、扱われる主題などが、小学校の頃の説明文に比べると、身近な体験で見聞する題材から少しずつ抽象的で観念的になっているのは確かです。でも、その結果、抽象性や観念性の増した語彙や表現の一つ一つに気を奪われ過ぎて、小中学校の説明文と論理的な構造が基本的に変わっていないことを、高校生となった皆さんは忘れてしまいがちです。

★もう一つの例として、29年度の東大評論問題はどうだった?
 次の図は、平成29年度の東大入試の評論の論理構造です。全体の論理構造を問う東大入試の評論問題は難しいとよく言われますが…さて、29年度の評論はどうだったでしょうか。

 人間の生のあり方を考えるとき、「科学技術というテクノロジーの発展(人間ができることの拡大)によって、行為を決定する新たな倫理的基準も人間は産出し続けることを迫られる」という説明文です。

 つまり、全体の論理構造としては、「無限性VS有限性」という観点からみた「科学技術VS人間の生き方」を考察したものです。小学校や中学校の教科書によくある説明文と同等の単純な論理構造です。(この評論問題の詳細な解説は、「東大,一橋大」のページに掲載)

 ただ、その単純な構造を、観念性・抽象性の高い表現や語彙で上手に目隠しした文章なので、予備校や高校生の中には昨年度より難化したと思った人も多くいたようです。しかし、このページの「チャプター2」を見ても、29年度東大評論の論理構造自体は、前年(28年度)以上に易化しています。

★さて、次の図は、高校生を対象に論理的な思考に関する話をする際、最初に用いるプレゼン資料です。

★論理的な思考って何?
 論理的な思考そのものを明らかにしてからでないと、評論や随筆などの文章で言葉による論理的な思考の力を問われても、自分が何から始めればいいか、自分は何を求められているのかが判然としないままに、これまでの現代文の授業や日常の読書経験などで何となく培ってきた経験、またはその中で蓄積した知識などに頼りながら、取りあえずは答を探っていくことになってしまいます。

 そこで、論理的な思考そのものをある程度は簡単に理解しておこうというところから、まず、「ボクの身長は?」という質問を生徒たちに投げかけるところから、論理的な思考の話を始めるわけです。

 成人(男)として「ボク」の身長は高いほうなのか低いほうなのかを質問してみると、「低いほうかな?」「高くはないと思う!」などなど、色んな答えが返ってきます(結局、ボクはあまり背が高くないということなんですが…)。

 生徒たちは、身長という観点から「ボク」を評価しているということなんですけど、上に示したプレゼンを見ながら、「みんなの頭の中で起こっている情報の処理のプロセス」や「スキーマ」という枠組みの中で物事を論理的に考える仕組みの話をすることにしています。すると、やはり論理というものには両極に出発点と到着点があり、その二つの点を結んだ間に「論理の道」が一本の線となって現れるということが理解できていきます。

★読解力の高まりが、実感しにくい現代文★ 
  ところで、高校生の皆さんにとって評論を読み解くための力って、実際のところ「ブラックボックス」のような印象しかないんじゃないでしょうか?それは、現代文の学習ではいわゆる「学習の転移」と呼ばれる「学力(国語では読解力や表現力など)の高まり」が、学習中にも学習後にもあまり実感できないままの場合がほとんどだからです。

 「君には論理的な構成や文脈を正確に理解する読解力が必要」「これからはもっと文章の内容を整理し適切に説明する記述力が不可欠」などと言われても、一度学んだ評論や解いた問題ならできるけれど、初めて読む文章にも生かせるような読解力が本当に身に付いたのかがが分からないまま、大半の高校生は入試の日を迎えています。

★入試評論で試される読解力・論理的な思考力★
 3,000~5,000文字程度の教科書の評論を、授業では少なくとも4~5時間程度の時間をかけます。ところが、入試の評論文は、選択式なら20分前後、記述式なら解答時間も含めて30~40分程度で解き終わらないといけない。ですから、どの大学も学校の教科書レベルの評論や随筆しか出題していないにもかかわらず、難しく思えてしまうのです。

 つまり、入試で必要な評論の読解力というのは、授業中に経験する読解とはやや次元が異なる世界のものです。一読して文章全体の論の展開や論理的な構造を見抜く力が求められています

 本講座では、大学入試の過去問を介して評論(論理的な文章)を読むために不可欠なスキル、「評論スキーマ」を理解していきます。

 東大の評論問題に興味のない人は、次のチャプター2は飛ばして、チャプター3に進んでください。 (でも、東大の入試評論は、28年度、29年度とますます易化してますから、少なくとも大学進学を目指す人は取り敢えず読んでおいても無駄にはならないと思います。

 所詮、大学入試の現代文(特に評論)はみな同じ発想で作られていますから、どの大学を志望している人も他の大学の現代文・評論の問題に、ぜひ目を通してもらいたいのです。)
 

チャプター2:論理構造を可視化し、難易度の推移も明らかにする(東大評論を例に)!

★論理的思考力とは、言語情報を構造化する力のこと★
 まず、下の図を見よう。

 これは、東大二次試験の評論問題3年分の論理構造を並べたものだ。他のどの大学の評論問題でもよかったのだが、過去3年間で、評論問題の難易度が易➡標準➡難というレベルで視覚的に確認しやすいので、取りあえず、トップページで取り上げた。
 
 問題は東大HPで公開され、図の左にあるボタンのうち、水色:平成28年度(出典は内田樹氏『反知性主義者たちの肖像』)、紫色:平成27年度(出典は池上哲史氏『傍らにあることー老いと介護の倫理学』)、黄色:平成26年度(出典は藤山直樹氏『落語の国の精神分析』)のボタンをクリックしてPDFファイルから印刷可能。一見して分かるように、どの年度も「対立する二つの要素を両極にもった軸」が交差するといった論理構造をもっている。

 このように一定の型をもった論理的な構造が大学入試の評論問題には存在するので、認知心理学で語られる「スキーマ」という「枠組み的知識」が入試評論を攻略する有効な手立てとなる。そのスキーマを、本講座では「評論スキーマ」と呼ぶ。

 評論文の難易度とはどういうことなのかを見てもらいたいので、ここでは例のとして東大の評論問題を取り上げた。東大の評論問題の特徴は、小問(一)から小問(四)までが小問(五)の求める問題文全体の論理構造へと収斂するように構成されている点にある。

★視覚的に実感することの大切さ★
 この図のように過去問三つの論理構造を並べることで、それぞれの年度の論理構造を構成する軸が見えるし、その数によって相互の難易度の差も容易に確認できるだろう。見ての通り、28年度➡易(縦軸に交差する横軸が1本)、27年度➡難(縦軸と交差する横軸4本)、26年度➡標準(縦軸と交差する横軸2本)という難易度である。

 特に平成27年度(2015年度)の評論では、「再現答案」を見る限り、全体の論理構造を問う小問(五)を東大合格者のほぼ全員が不正解であった。この年の論理構造は、「過去・現在・未来」という縦の時間軸に、交差する横軸4本の「自己変容の姿」が描かれているだけに過ぎない。にもかかわらず、「評論スキーマ」という枠組みが自分の中に形成されないまま問題文に臨んだ結果、小問(五)の設問の趣旨さえ理解できていなかった。

 毎年、入試が終わると「本文の抽象度が高い」「観念的な文章で受験生にとってイメージがつかみにくい」と問題の傾向が説明されるが、評論文の論理性を視覚的に確認できる具体的な図表として示さない限り、高校生諸君には何も伝わってこない。
 
 次は「論理的な思考」一般的/汎用的な枠組みである「スキーマ」の話をして、大学入試における評論文の論理構造の見極め方などへと話を進める。

チャプター3:「スキーマ」の原理を分かりやすく!

★雲が動物に見えてくるのは、なぜ?★
 まず、下の図を見よう。

 君たちが空に浮かぶ雲を眺めていたとする。そして、下の図のような雲の形を見て「ウサギ」と認知した時、君たちの思考過程はどうなっているだろう?

 まず、「ウサギ」という動物の概念をもっていなかったら、この雲を「ウサギ」と認知(理解・判断)することはない。「ウサギ」を知っているからこそ、「ウサギ」という概念構造に当てはまる特徴を雲から探し出し、この雲は「ウサギ」にそっくりだと認知する。
 もちろん、この雲を見たときに雲の形状と似ている(と類推できる)動物として本物のウサギを思い出すからだが、その後は、目前の雲から与えられた視覚的な情報から頭に浮かんできた本物のウサギのイメージにうまく当てはまる特徴を、次々に取り出し始める。たとえば、ウサギの耳のような形の部分や、ふっくらと柔らかそうな手触りの丸っこい全体像とか。

 このように、自分の頭の中のウサギにうまく当てはまるような特徴(認知心理学では「当てはまりの良さ(goodness-of-fit)」)が、この雲の形からいくつも取り出されてくると、この雲がまさしくウサギに見え始めてくるというわけである。

 この思考のプロセスを分かりやすく示したのが下の図。既知の概念構造(ウサギ)から視覚的情報(雲)に流れる情報処理のことを「トップダウン処理」といい、視覚的に捉えた情報から既知の概念構造に流れる情報処理のことを「ボトムアップ処理」という。この二つの情報処理の相互作用で、我々の物事に対する理解や判断といった認知活動が行われている。このときの既知の概念構造が、「スキーマ」という枠組み的な知識」である。



★日常の認知活動を支えている「スキーマ」★
 ある一つの「スキーマ」が、すべてに物事に対して情報のトップダウン処理にいつも適応できるのではない。図のような「ウサギスキーマ」がすべての雲に駆動するのではないし、羊のような雲が現れていたとしたら、所謂「ヒツジスキーマ」を駆動させないと雲は「ヒツジ」には見えてこない。

 このように人の顔を認知するための「顔スキーマ」、物語の構造を理解するための「物語スキーマ」(物語文法とも呼ばれ、物語の設定、テーマ、筋立て、エピソード登場人物など、物語を理解するに必要な一定の共通する枠組み的知識のこと)、新聞記事を読む際に起動する5W1H といった「記事スキーマ」など、複数の「スキーマ」を我々は記憶の中に蓄えており、それらが我々の論理的思考などといった認知活動を日常的に支えている。

★「スキーマ」を前提に評論を読む利点★
 「スキーマ」という枠組み的な知識をもって入試評論を「上から下へ」と「トップダウン処理」することには、最小限の効率的な情報処理作業で論理構造を読み取れるという利点があり、この「評論スキーマ」は完成度の高い良質な評論問題ほど大きな力を発揮してくれる。

 ところが、大半の受験生はこのスキーマを知らないままに問題文の複雑な論理構造を自分の経験知だけで作り上げようと苦戦している。その結果、評論文全体の論理構造を正しく把握できなかったり、構造を組み立てる要素となる語句を文中からうまく取り出せなかったりして、時間が無駄に費やされているというのが実情だ。

★論理的な文章に共通する論理構造★
 入試などのテスト問題として選ばれる文章は、一定の字数内で論理的な整合性や一貫性、完結性を兼ね備えている必要がある。そして、その論理的な構造で受験生の学力を正しく測定し、設問数も確保しないといけない。

 このような制約や条件をクリアしながら、受験生の学力(論理的な思考力)を問える入学試験を作成しようとする結果、テストの素材となる評論文には或る共通した論理構造が見出せる。

 その共通する論理構造の特徴とは、国公立の評論問題の大半から見出せるように、複数の価値体系の軸が交差しながら論理が展開されているという点にある。価値体系軸とは長短、大小、善悪、長所短所などといった二つの相反する要素を両極に持った二項対立の軸の事であり、その二項対立軸の二本が交差しているというのが、入試問題など一定のまとまりのある論理的な文章の基本な論理構造となっている。

 この特徴は、大学の入試現代文における評論や随筆といった文章だけでなく、日常、社会人や高校生が目にするレベルの論理的にまとまりのある文章全般にも当てはまる。本講座では、論理的な文章に共通な「二本の二項対立軸が交差する論理構造」「評論スキーマ」とし、論理的な思考力や文章読解力を高めるに必要な汎用性の高いスキルとして、高校生諸君に伝えていくこととしている。

コラム:人工知能で使われる「スキーマ」

★部分理解から全体理解へ★

 従来型の現代文の授業は、ボトムアップ処理型の授業に偏りがち。そのような授業にもメリットもありますが、教材の冒頭部分から段落ごとに読み進める「部分の詳細な解釈」に陥りがちで、認知における「学習の転移」も起きにくい。また、「スキーマ」も経験の積み重ねだけではうまく身に付きません。

 人間は、様々な概念を組み合わせながら新たなものを創造する際、判断や結論を自ら下しながら主張やビジョン、評価を行っていますが、そのような論理的な思考は二つの異なる要素を組み合わせて一つの集合を定義していくということから始まります。そのような論理的思考のプロセスが、入試問題の論理構造を解き明かすためのスキルである「評論スキーマ」という考え方の背景にあるのです。

 近年では、人工知能(AI)の研究者たちが、人間と同様な「スキーマ(コンピュータ用語では「フレーム」「スクリプト」)」を蓄積しながら、その膨大な構造的知識データをクルマの自動運転などの分野に応用し、私たちの日常生活の中での実用化も始まっています。

 写真のクルマは、日本の自動車メーカーであるN社が2016年に発売して以来、最も売れているミニバンのひとつ。長時間の巡航や渋滞の際にアクセル、ブレーキ、ステアリングを自動制御することで、運転者のストレスを大幅に軽減する「プロパイロット」と呼ばれる自動運転技術が装備されています。
 人間の代わりにクルマが周囲の状況を瞬時に理解(認知)してくれるわけですが、それを可能にするためには交通ルールや安全な運転技術などに関する膨大なデータを「スキーマ」という枠組み的な知識としてコンピュータに記憶させておく必要があるのです。

チャプター4:評論文は、どうして同じような「論理の構造」をもつのかな?

 入試の評論問題は、なぜ同じような「論理構造」をもつこととなるのだろうか?それには、言語を作り出すことで文明や文化を発展させてきた人間の進化のプロセスが大きく関わっている。

★人間だけがもつ言葉を創造する力★

 まずは、次のプレゼン資料の上部半分を見ていこう。
 ここには歯車が三つ並んだ図がある。これは、人間の言葉を作り出す能力を高校生にとって分かりやすくしたものだ。

 
 この三つの歯車のように、言語生成の過程は、もともと無関係だった「意味を作り出す歯車(概念意図系という)」
「音声を作り出す歯車(感覚運動系という)」を、「言語を作り出す歯車(統語演算系という)」によって柔軟にうまくつなぐことで成立したものである。このように、音声と意味を組み合わせて、コミュニケーションの道具となる言葉を創造する能力が「併合」と呼ばれる歯車だ。

 そして、人間の言語を作り出す能力の最大の特徴は、二つの異なるものを組み合わせて一つの集合体として言葉で定義し、その操作を繰り返して物事の意味を階層的に深めていくところにある。

 例えば、君たちが「黒い長靴を履いたネコ」という表現を見たとしよう。すると、君たちはこれを「『黒い長靴』を履いたネコ」なのか、それとも「黒い『長靴を履いたネコ』」なのかと、二つの意味の階層で言語的に理解しようとするだろう。このプロセスこそが人間言語がもつ固有の力(併合)なのであり、現在まで続く我々ホモサピエンスの繁栄をもたらしたといえよう。

 以上のように、人間が「異なる二つのものを一つの集合体として組み合わせて言語的に定義していくという単純な操作」を何度も繰り返しながら、「物事の意味や論理を階層的に深めていく」ということを踏まえて、次へと話を進めよう。

★論理的な思考の深まりも、最初は二つの物の組合せから★

 まず今度は、プレゼン資料の下部半分を見ていこう。
 言葉を創造する「併合」の力は、論理的な思考の深まりでも有効に機能する。そのプロセスを分かりやすく説明しよう。

 ここでは、ある子ども(5、6歳くらい?)が、街並みに聳え立つタワーを見て「わーっ、大きなタワーだなあ」と驚く場面を想定する。次に、その近くに他のビルを圧倒するようなひと際大きなホテルを見て「これも大っきい!」と声を上げる。そして、この二つの異なる建造物を比べて、この子は「どっちが大きいっていえるのかな?」と思い始めたとしよう。

 このとき、タワーとホテルの二つの物は、「人工的な建造物の大きさ」という集合体として自然の景物から切り離されて認知(いわゆる「併合」の始まり)されており、続いて「どっちが大きいのかな?」と考えたとき、彼は論理的な思考を展開し始めているのである。

 このとき、この子が「高さ(『高いVS低い』という価値体系)」という基準しかもっていないとすれば、彼はタワーの方がホテルより「大きい」と判断する。一方、「横幅(『広いVS狭い』という価値体系)」という基準しかもっていないとすれば、ホテルの方がタワーより「大きい(これも実は『大VS小』という価値体系)」と判断するだろう。

 でも、彼が「高さ」と「横幅」という二つともを「大小」という大きさの基準としてもっていたら、どうだろう?さらに、「奥行き(『手前VS奥』という価値体系)」という基準までもっている子だったら?

 そうなると、この子は最初タワーを見て、「大っきいなあ!」という感動から始まり、続いて他の建物(ここではホテル)と比べながらタワーの大きさの意味(大VS小)を考えたとき、「高いVS低い」「広いVS狭い」「手前VS奥」など複数の二項対立的な価値体系軸を、「タワーVS他の建物(ホテルなど)」の構図にいくつも重ねて思考しているということになる。

 このように、彼はタワーの大きさのもつ意味を複数の価値体系軸によって階層的に分析しながら、大きさというものの概念の意味を次々と深めているが、このプロセスこそが「論理的な思考の深まり」もしくは「低次から高次への論理的思考」と呼ばれるものである。

 もっと簡単に言えば、二つの対照的な点を結ぶ軸をいくつ重ねながら物の意味を深めていくかが、思考する人間の独創性や思索の深さを示していることである。
 
 高校生の皆さんが実際に読む評論文はこの子どもの例より次元が異なるレベルに思えるだろうが、論理的な思考のプロセスや構築された論理構造は本質的に同じであり、次のコラムの後に、その話に移ろう。

コラム:「点と点を結ぶ」スティーブ・ジョブズ氏の残した言葉から

 2011年10月に死去したApple CEO スティーブ・ジョブズ氏は、世界で一大市場を開拓したiPhoneやiPadを創造した人物としてあまりにも有名です。彼が2005年6月の米スタンフォード大卒業式に行ったスピーチは自身の人生観を余すところなく示しており、多くの人に感動を与えました。そのスピーチの冒頭の一節に次のような言葉があります。(写真は2007年iPhoneを手に持つジョブズ氏=AP)

「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできない。できるのは、後からつなぎ合わせることだけ。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」

 現代社会における殆どのイノベーションは、科学技術の進化そのものというより、これまでなかった全く異なる発想から創出されています。そして、思考する人間の独創性や思索の深さは、どんな「点」を二つ選んで、それらを結んだ「軸」をいくつ用いて、物の意味を深めていくかにあるのです。

チャプター5:評論文の基本的な論理構造

 まずは、次の図を見てみよう。他のページでも用いるものだが、ここでも少し触れておきたい。

「二つの対照的な点を結ぶ軸をいくつ重ねながら物の意味を深めていくかが、思考する人間(ここでは評論の筆者)の独創性や思索の深さを示している」と前述した。その観点から、図に示した各大学の評論文に簡単な説明を加えた。

●京都大学(2016年度:平成28年度)●
 現代を生きる君たちも、友人たちと色んなツールを使いながら意思の疎通(情報の伝達)を図っている。では、中世ヨーロッパの人々はどんな風に「情報伝達」をしていたのか?そのあり方を解説した文章だ。

 つまり、「情報伝達」という枠組みの中で、「送り手VS 受け手」という軸に情報伝達の手段として「聴覚VS視覚」という軸を重ねて、「情報伝達」の意味を論理的に深めていくプロセスが述べられている。

●九州大学(2016年度:平成28年度)●
 僕らは今、自分の行動に対する「自己責任」をいつも問われている。でも、現代社会において僕らは「自己責任」って本当に取れるのか?という疑問に答えようとした文章。

 つまり、「自己責任という」という枠組みの中で、自分の行動の結果についての「予見可能VS予見不可能」の軸「結果責任有りVS結果責任無し」という軸を重ねて、現代社会における「自己責任」の意味を論理的に深めていくプロセスが語られる。

★平成28年度(2016年度)以降の入試問題は、論理構造が教科書レベルになったことを知っておこう!
 次の図は、論理構造の難易度。これも平成27年度までの話ですから、参考にするだけにしてください。平成28年度以降は、どの大学も高等学校の教科書レベルになっていますから、論理構造はみな同じです。

●東京大学2016年度(平成28年度)●
 人間社会における「知性」の働きの意味を考察している。つまり、「知性」の働きという枠組みの中で、人間の「個人VS集団」という軸に、今、世界を席巻する思想的潮流となっている「知性主義VS反知性主義」の軸を重ねて、「知性」の本来的な働きの意味を筆者独自の視点で深めている。前年度の正解率の低さに懲りたのか、東大も他の大学と同等の論理構造複雑な論理構造をもつ評論は27年度までで終わりである。

●東京大学2014年度(平成26年度)●
 高校生の君たちも自分の心の中に複数のタイプの「人間」が居ることを自覚したことはないかな?今回は、自分の心の中の「他人」ということを踏まえて「アイデンティティ(自己同一性)」のあり方を扱っている。

 つまり、「アイデンティティ(自己同一性)」という枠組みの中で、心の中の「分裂(複数の他人)VS統合(複数の他人を統合する自分)」という軸に、事例として「落語家VS客」と「(精神)分析家VS患者」の二つの軸を重ねて、「アイデンティティ」の現代的な意味づけをしている。

●東京大学2015年度(平成27年度)●
「自分らしさ(個性)」ってなんだろう。「自分らしさ」の意味を深く考えようと試みた文章。

 まず、「自分らしさ」という枠組みの中で、「過去VS現在VS未来(正確にいえば、「現在」は「過去に引きずられている現在」VS「未来に向かって生成を続ける現在」に分けられる)」という三本(正確には四本)の軸のそれぞれに対して、「自己VS他者」の軸を重ねて、自他関係における時間の経過に伴った「自分らしさ」の変容を明らかにしながら、その意味を深めている。

 入試の評論文として近年では稀に見る論理構造の複雑さ(スキーマ的には基本構造は単純なんだけど…)だった。だからこそこの年の東大合格者のほぼ全員が、全体の論理構造(具体的には小問5)を理解できなかったわけだ。

 以上のような入試の評論文でも、「二つの対照的な点を結ぶ軸をいくつも重ねて物事の意味を深め、論理的に思考する人間の独創性や思索の深さが示される」ということが分かる。

コラム:大学での学習効果に関する研究と、学校の教育現場との間の「大断絶」

 近年、論理的な思考力を中心とした「21世紀型のスキル」「21世紀のコンピテンシー」と呼ばれる能力を育成するため、高度な学習の在り方焦点が当てられるようになっていました。
 
 にも関わらず、学習に関する大学での研究者(学習心理学や発達心理学、論理学、認知心理学、進化言語学などを研究している人たち)と、中高生の皆さんを直接教えている学校現場の先生方や国の教育政策を立案する人たちとの間には、相変わらず「大断絶(大きな溝、へだたり)」があると、世界の子どもたちの学力を調査しているOECD(経済協力開発機構) の教育研究革新センターが『学習の本質』という本の中で報告しています。
 
 国語教育の世界でも、論理的な思考力の育成に関する大学での研究成果が届かないままに、学校現場では旧態依然とした部分的な解釈中心の指導がいまだ根強く続いているという現状も、この「大断絶」の一つでしょう。
  

 本講座の「評論スキーマ」という汎用的なスキルは、そのような「大断絶」における「かけ橋」となり、入試の評論問題の読解に役立つだけでなく、中高生の皆さんが社会人になっても必要な自発的で創造的な思考力を身に付けるための「足場かけ」に必ずなるはずです(「足場かけ」については「スキーマと評論」ページのコラムで説明)。

チャプター7:2017年度センター試験評論の論理構造

 いよいよ2020年度をもって廃止されようとするセンター入試。最終章を迎えて、廃止後の新テストを前に現行のセンター試験もやや改善されつつあり、それが顕著に現れたのが2017年度センター入試第1問「評論」小問5です。

 東京大評論問題小問(五)と同じく、本文の一文に傍線部を引きつつも全体の論構造を踏まえて答を求める設問です。東大は記述式であってセンター入試は多選択肢型として答は用意してありますが、設問の発想は一緒です。

 評論文全体の論理構造を、本講座でいう汎用的推論としての「評論スキーマ」で理解してこそ正解にいち早く辿り着けます。

 次に示したのが、この評論文の全体構造。

 科学の有用性から始めて筆者独自の視点から現代における「科学」の意味やとらえ方の変化を説いた文章です。
 
 現代社会における「科学」の位置付けという枠組みの中、科学という学問をめぐる「専門家(科学者&科学社会学者)VS素人(一般市民)」の軸に、科学の意味や価値に関する「一面的な捉え方VS複眼的な捉え方」の軸を重ねて、全体の論理構造が組み立てられています。筆者はその構造を踏まえ、「素人である一般市民は科学を悪と一面的に捉えている」ということを前提に論議している点では、科学者も科学社会学者も所詮は一緒だという自論を述べているのです。

 本文中に度々用いられる「素人」「一枚岩」に着目すれば、全体の論理構造は簡単に組み立てられます。

「素人」といえば一般人。「素人」に対するは「玄人(くろうと)」。そして、科学の「玄人」といえば、科学の専門家である科学者さんたち(本文では社会科学者をも含む)。つまり、「専門家(科学者&科学社会学者)VS素人(一般市民)」の軸なのです。

「一枚岩」というのは科学を「一枚岩」的に見ること。つまり、科学を善か悪かのどちらか一方でしか見ない「一面的な見方・捉え方」です。そして、「一面的な見方・捉え方」に対するのは「複眼的・多面的な見方・捉え方」です。つまり、「一面的な捉え方VS複眼的な捉え方」の軸。となります 。

 本文の一文に傍線部を引きつつも、全体の論理構造の理解を求める良問でした。誤答選択肢があからさまな嘘を並べているので正解は出せたでしょうが、記述式の問題であれば、受験生にとっては国公立二次試験並にやや面倒な問題になるでしょうね。つまり、本文全体の論理構造をスキーマ的な演繹法による推論で俯瞰的に読む力が要求されるからです。2020年度まであと3回実施されるセンター入試。平均点が下がっても、今回のような二次試験記述に向けての準備運動になるような良問を、大学入試センターには期待したいものです。

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プロフィール

西田 敏博
 福岡県生まれ。大学で教育工学を専攻、民間企業を経たのち16年間は高校の教壇にて国語を教え、現在は大学講師。その傍らで民間の模試作成・テスト開発など継続中。

〈本講座の趣旨〉
 本講座は、中高生が経済的負担をかけることなく自由に閲覧し、論理的な思考力・判断力・表現力等を高められるようにウェブ上に公開したものです。
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