平成29年度(2017年)大阪大学「大問一(法・外国語・経済・人間科学)」

★「物VS心」と「安定(平穏)VS不安」という論理構造で、現代を覆う「むなしさ」を解き明かす話★
 平成29年度大阪大学二次現代文「大問一」評論問題。出典は竹内整一氏『ありてなければー「無常」の日本精神史』(角川ソフィア文庫)Ⅰ章「現代日本人の無常観」の1「はかない」気分、並びに2「はかーない」とは、からです。

「物(モノ)VS心(こころ)」という論理的な軸が中心となった素材は評論問題では定番中の定番です。高校生の皆さんは、このような軸を視点として現代の時代状況を考察する評論を、これまで何度も読んできているはずです。

 冒頭から全体の論理構造がつかめる素材文で、昨年よりもずっと読みやすくなっていますよ。今年度は、どの大学の入試でも評論の素材文はいずれも読みやすくし、その反面、必ず全体の論理構造を問うようにしています。

★全体の論理構造について★

次の図は、全体の論理構造の前半(各形式段落毎に番号を振り、前半は形式段落⓵から⑫まで)です。出典となった原文では、タイトルが「はかない」気分となっている章段です。

 まず形式段落①~⑦で、「繁栄や進歩自体が我々を滅亡へと導いているのでは?」という「不安」の中で、人々は「無常なるもの・ニヒリスティックなもの」を日々感じているのが今日である、という唐木の時代認識が引用されています。

 次に形式段落⑧~⑫で、「無常(もしくは無常性)」とは時代や場所を越えて人々が抱き続けてきた普遍的な心情であるが故に、「無常なるもの」が席巻する今日の時代状況を打開または考える際、唐木の言う「無常性を徹底すること」、つまり言葉としての「無常」の歴史的系譜をたどるのが意義あることだと筆者は語ります。

次の図からは、後半(形式段落⑬から最終㉒まで)の内容が加わります。出典となった原文では、タイトルが「はかーない」とはとなっている章段です。

 まず形式段落⑬/⑭/⑮は、「無常」の源流にある「はかなし」という語をさらに遡上して「はか」の意味を探ることから始まります。ここでは、「はか」という言葉は本質的に物量を示す表現であったことを理解することがポイントです。

 次に形式段落⑯から最終段落㉒までで、前半の形式段落①~⑦までの論理構造がより詳細なものへとなっていきます。

 形式段落⑯~⑳では、現代の日常生活の中心に「はか」あることという発想(効率性の追求によって「今」という時間自体が無意味化するような、前のめりの姿勢もしくは前望的な時間軸に支配された日常の営み)があると、筆者が語ります。その発想の根幹が揺らぐことで人々の心(精神世界)が「ニヒリズム」もしくは「無常なるもの」に呑み込まれていく状況や事態が語られています。

 形式段落㉑/㉒では、「はか」あることという物の世界とは異なる「はか」がないこと(➡「はかない」という思想状況)の中にこそ、人々が「はか」第一主義の社会で失ってしまったポジティブな精神世界の「何か」が存在し、それを見つけて取り戻すという筆者の考えが示唆されています。

 ✿「モノ」中心の日常がニヒリズム(無常性)を生む!
 以上のように後半では、「モノの世界」中心の効率性重視社会が心を滅ぼし(生の空洞化・虚無化など)、「心の世界」における死や滅亡の不安を掻き立てて、そのままニヒリズム(無常性)を生み出していく構図が語られています。

 ✿「無常性の徹底」が「心の安定・安心」を取り戻すというパラドックス(逆説的な発想)!
 さらに筆者は、唐木の提言を受けて「ニヒリズム(無常性)の徹底」という、言わば発想の逆転を行います。無常という言葉の歴史的系譜を遡ると、そこには「はかない」という「はか」ある物質的な世界観とは異なる思想があると言います。

 その「はかない」という思想状況が徹底されることで、「モノの世界」中心の中で失われた「心の世界」における安定・安心というものを取り戻す契機となろうという構図が示されているのです。

 つまり、「モノVSこころ」という軸、並びに「無常」を中心にした「こころの安定VSこころの不安」の軸によって組み立てられた構造が全体の論理構造です。

★小問の解説・解答★
 小問一は、漢字の意味からの言い換え問題。(a)「回り道」など (b)「活性化」など。「天賦の才能」など「賦」には「授ける、与える」という意味があります。
 
 小問二は、全体の論理構造を求める設問です。したがって、解説・解答は「小問三➡小問四➡小問二」の順とします。各小問の正答例は青フォントで示しています。

●小問三は、理由説明問題です。
 まず、前述したように形式段落①~⑦では「繁栄や進歩自体が我々を滅亡へと導いているのでは?」という「不安」の中で、人々は「無常なるもの・ニヒリスティックなもの」を日々感じているのが今日である、という唐木の時代認識が引用されています。

 ✿無常性の徹底が不安感から人々を救うというパラドックス的発想
 しかし、人は国家や家族の絶対化や自分の実存だけで自己の安定化を図って死・滅亡への不安から逃れようとしても、それは既に失敗してきたとしています。そこで提案されたのが「無常性の徹底」、つまり「無常」の言葉の系譜を過去へと遡ることです。

 ✿無常性の徹底という過去へと言葉の系譜を遡ることが、なぜ不安感から人々を救うことになるのか?
 上の構造図から明らかですが、「無常性」が含む「はかなさ」や「むなしさ」は人間の生死があるところには根本的に常につきまとう普遍的な心情です。
 
 だからこそ、「はかなさ」や「むなしさ」をめぐる人間の古今の格闘の歴史を紐解くことで現代人のもつ不安から無常なるニヒリズムに到るプロセスを解き明かそう、と述べているのです。

 答は「ニヒリズム(無常・はかなさ)の問題」を時代や空間の「特殊性VS普遍性」という軸でまとめればよいのです。

正答:現代のニヒリズムに通じる無常という心情は、時代や場所に特有の特殊なものではなく、常に人間の生死に伴う時空を超えた普遍的な心情である以上、無常をめぐる古今の格闘の歴史を踏まえて解き明かすべきものだから。(100文字)

●小問四は、内容説明問題です。
 まず形式段落⑬/⑭/⑮で、「はかない」の「はか」は仕事量やものごとのを計量するといった物量すなわち「モノの世界・次元」の言葉であると述べます。

 そこから形式段落⑯/⑰/⑱へと話を展開させ、西洋近代の科学技術の基本発想を背景にし、効率的に未来(将来)の物質的な結果を推し量りながら前のめりの生き方で「終わりなき日常」の日々を送る現代人が、結果的に「はかーない」状況へと向かっているというのです。

 上の図のブルーで囲んでいる「はかなし」の由来や二つの心性を踏まえ、「終わりなき日常」を「はか」あることと「前のめりの生き方」を中心にまとめましょう。

正答:将来の成果を効率よく実現することが最優先される結果として、必然的に現在という時間は空疎化し、生の充実を実感できなくなっているにもかかわらず、多忙な現在の日々を生きることが際限なく強いられるという状況。(100文字)

●小問二は、本文全体の論理構造を明らかにする問題です。
 前述の全体構成後半の説明で、十分に理解してもらっているでしょう。

 その説明を要約すれば、まず、「モノの世界」中心の効率性重視の社会状況が生の空洞化・虚無化を招き、ひいては死や滅亡の不安を掻き立てながらニヒリズム(無常性)を生み出していくという時代認識を踏まえます。

 次に、「ニヒリズム(無常)の徹底」という「はかーない」思想によって「モノの世界」中心の中で失われた「心の世界」における安定・安心というものを取り戻そうという論理構造です。

 つまり、「モノVSこころ」という軸、並びに「無常」を中心にした「安定(ポジティブ)VS不安(ネガティブ)」の軸が見えるような答を組み立てていくことが求められています。

正答:対象を物質的客体と捉える効率性重視の社会状況が人の心に虚無的なニヒリズムを生み出しているという事態を理解し、無常観というニヒリズムを歴史的な普遍性という視点から改めて問い直すことで現代社会が失ったポジティブな精神世界を取り戻そうとすること。(120文字)

●問題を振り返ろう!(全体の主旨がパラドックス的な論理)

★無常性を徹底する意義
 無常性(むなしさ、はかなさ)を徹底すればかえって虚しいという不安感から人々が救われる、そして、現代社会が失ったポジティブな心の安定を取り戻せるだろうというパラドックス的な論理に基づく文章でした。

★パラドックス(逆説)の論理
 今年度の東京大評論の「問題を振り返ろう!」で既に述べましたが、今年度はパラドックスの論理を説明させる問題が大いに流行りました。改めて以下に列挙します。

●まず、29年度 大阪大学(文学部を除く文系学部共通)「大問一」の小問二は、「無常(はかなさ)の追求こそが、かえって生の充実(有常)につながる」というパラドックス的な発想の説明。
●29年度東京大学 第一問(評論)の小問(三)は、科学技術は人間の営みから「離れている(ニュートラル)」が故にこそ人間の営みと「密接に関わる(アン・ニュートラル)」のだ、というパラドックスの説明。
●29年度京都大学 (理系学部)大問二の小問二は、「小説の作者の客観的な執筆態度が読者の主観性を助長する」というパラドックス的発想の説明。
●29年度京都大学 (文理共通)大問一の小問(五)は、「不調和な部外者こそ、調和的な世界の内部が理解できる」というパラドックス的な発想を根拠とした理由説明問題。
●29年度 東北大学 (文系共通)「大問一」の小問(四)は、「『様式化』された絵画ほど『写実的』な表現である」というパラドックス的発想でのエジプト壁画の説明。
●ついでに、28年度九州大学 (文系全学部)大問一の小問6は、人間の行為の結果が「予見できないということが、予見できるという人間の思い込みを強める」というパラドックスの説明。
●さらに、平成28年度大阪大学(文学部以外の文系)評論問題Ⅰの小問四は、「大衆のルサンチマン」は政治権力にとって相反するパラドックス的な存在という問題でした。

以上、パラドックス(逆説)の論理が苦手な高校生はこれらの問題を確認して、ぜひ克服しておきましょう。

★「スキーマ」で読み解く入試評論★

 東大や京大、九大などが入試で出題する評論問題が、高校生でも時間内で解けるレベルであることを分かりやすく理解してもらうために、入試評論問題に共通する「枠組み的な知識(スキーマ)」という観点から話をしてきました。
 
 入試で評論問題を解く高校生にとって、過去に読んだ評論の学習の成果を新しい評論の読解にうまく統合させるスキル(足がかり)として、この「スキーマ」は非常に有効です。今後も「評論スキーマ」という考え方に沿った過去問の分析を皆さんに紹介していきます。例えば、昨年度の大阪大学の問題は、次のような論理構造でした。
  

★28年度大阪大学[大問一]★
 
 平成28年度大阪大学二次試験における評論問題(出典:白井聡氏『反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴』)の全体の論理構造図です。キーワードは大衆の怒り「ルサンチマン」と「反知性主義」、それに関連する「階級政治」。東大の出題した同年度の評論問題も「知性主義と反知性主義」がテーマでしたから、なかなか興味深い一致です。

28年度大阪大学の評論 一問目は、陰画(ネガ)と陽画(ポジ)の構図が浮かべば全体も見えてくる!   最終段落で全体構造の決着がつくのは、28年度東北大学の評論問題と同じ!

★大衆の「ルサンチマン」は弱者を強者にするのか? という話★
平成28年度大阪大学二次試験(文学部以外の文系:法・外国語・経済・人間科学)の「国語」評論問題Ⅰ⃣(出典:白井聡氏『反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴』)。

★上図の「論理構造」の骨格は?★
 冒頭の段落から本文の主題は「反知性主義」であることが明らか。
 そして、第3段落中の「近代性の発展」「近代の学問」の表現から、第2段落中の「1980年代~資本主義の新段階」「新しい階級政治の状況」が時間軸において「現代」に位置付けられていることを理解し、この軸を全体を貫く縦軸としよう。
 また、第3段落で語られれた高度な知性をもつ理想的な人間という「近代」の学問の理念は、「知性主義」の内容そのものと想定できる。この「近代以降の知性主義」が「現代の反知性主義」の対極となり、横軸を形成。

★「二項対立」の観点から論展開の先を想定して読もう★ 
 これまで、他の大学の解説で「評論スキーマ」を用いてきたように、二項対立の構造がなければ論理的な思考や判断は存在し得ない。この問題文では、「近代」があれば「中世」や「現代」といった時間軸上の対立的要素である時代区分が、「反知性主義」があれば「知性主義」というイデオロギーの軸上における対立的要素が、いずれ本文に現れてくると予想して先を読んでいくことが大切。
 そのような読みの構えがなければ、この大阪大学の評論は時間内になかなか読みこなせないし、記述も書けない。そのことを、ここで改めて再確認しよう。

★最終段落で言及される「ルサンチマンと政治権力」の関係★
 第4段落から最終段落直前の第9段落まで、「反知性主義」の心情の核心にある「ルサンチマン」が生まれていくプロセスやその攻撃性の説明。最終段落では、この反知性主義の心情が権力の資源になっていることを示唆する。

★小問三の解説★
小問一は漢字の書き取り、小問二は語句の辞書的意味。小問三、小問四が読解問題。ブルーの丸囲みが各小問が対象にしている論理構造である。

小問三
「陰画」という比喩表現の内容説明問題であり、「陰画」の直前にある「近代原理」に着目。
 
 では、近代原理の「陽画」とは何かを想定してみると、それに関する内容が第3段落で語られていた。そこでは、「自由で平等な人間」という近代の原理は、本来は知性によって人間性を完成していくという究極目標を伴う理念だったとされている。つまり、その理念が近代原理の「陰画」に対する、いわば「陽画」と呼べよう。
 
 ところが、知性を肯定する「自由で平等な人間」という近代原理が、大衆民主主義が標榜する「平等」の名のもとに現代では知性を否定するものへとは反転していく。真正の知性をもつ「知的な卓越者」も「不正を働く悪党」とされ、大衆が憎悪する対象となっていくのである。この状況が、近代原理の「陰画」という比喩で表現されている。

 以上、「自由で平等な人間」という近代原理が民主主義における平等の意識に転移しながら反知性主義を生み出していくプロセスを、図に示した近代原理を同根にする「陽画」と「陰画」の論理構造を踏まえて記述していく。

正答:「自由で平等な人間」という近代原理は本来、知性の発展による人間性の完成を目指すものだが、今や民主主義時代における「平等」の意識を肥大化させながら知性を敵視する風潮を醸成する原理となっているという意味。(100文字)


★小問四の解説★
 小問四は「筆者の論旨に沿って」という条件があり、全体の論理構造の骨格を踏まえて答える問題である。 

 小問(四)では「政治権力」が、ルサンチマンという「弱者の鬱憤」を自分たちの「権力資源」とするか、または自分たちの脅威となるような「圧倒的な覇権」を持たぬようにするかの間で、「微妙な舵取り」を迫られているという内容をしっかりと読み取る必要がある。したがって、上の「ブルーの丸囲み(四)」の箇所をもっと詳細にした図を次に掲げる。

 

★小問四の解説★

●論旨の中心は、大衆の「卓越者への憎悪・攻撃(ルサンチマン)」
 全体の論理構造の理解と問三の解答によってわかった「筆者の論旨」の核心は何か?それは、近代に生まれた平等の原理が大衆民主主義時代では、知的な卓越者であれ、地位や富といった社会的な卓越者であれ、卓越者に対する大衆の怒りや憎悪、攻撃(ルサンチマン)」となって現出しているということであった。

●「ルサンチマン」は、政治権力にとって相反する二つのパラドックス的な存在(二項対立の構造)となる●
 この点を理解し、上の図の問四に該当する論理構造を見てもらいたい。「卓越者への憎悪、攻撃(ルサンチマン)」は、大衆民主主義時代の「平等」を擁護もしくは維持する力として政治権力の資源となる一方で、同じ「卓越者への憎悪、攻撃(ルサンチマン)」が圧倒的な覇権を握って政治権力側に向かう力にならぬよう、その力を抑制していく必要もあることが理解できるであろう。解答では、このような「ルサンチマン」の対立的な二つの意味合いを、図に示した論理構造を土台にして記述していく。

正答卓越者を憎悪する大衆の反知性主義的な心情は、民主主義における「平等」を擁護するものとして政治権力にとっては好都合なものであるが、その一方で、大衆の卓越者に対する憎悪の心情は、社会的・政治的に上位にあると位置付けられる政治権力の側に向かう可能性も否定できないものである以上、常に抑制的にコントロールしておく必要があるから。(160文字)

★大阪大学評論問題の特徴★
 大阪大学の評論問題では、明示(明らかな表現として言語情報が文中に示されていること)されていない情報を推論していく力が試される。今回の小問三でも「反知性主義」に対する「知性主義」という表現が本文に用いられていないが、第3形式段落の内容に「知性主義」と推論できるような内容が述べられている。
 
 同様に、小問四でも政治権力が社会的・政治的に「卓越者」であると本文には明示されていない。だが、権力と大衆の本質的な関係(支配と被支配)や、「ルサンチマン(大衆の憎悪)」と政治権力の関係(取り込むか、取り込まれるか)から、政治権力が「卓越者」という位置付けは推論できよう。
 
 以上から、「評論スキーマ」に基づいて論理構造の骨格を成す二項対立の軸(ここでは「反知性主義と知性主義」「為政者(支配者)と大衆(被支配者)」など)を想定して問題文を読んでいくことがいかに大切か、このことを肝に銘じておこう。
 
 また、問題文として切り取られた評論の全体的な論理構造を必ず問おうとする傾向は、センター入試が廃止になって二次試験がいっそう重視されることが予想される今、他の大学にも拡大されていくはずだ。したがって、受験生は今以上に「問題文全体の論理構造を常に把握する」という意識をもたないといけない。

※ 評論問題として本講座で取り上げた大学以外でも大半が同じ論理構造だから、それぞれの評論問題に必ず目を通しておこう!

●大手予備校も正解を出せなかった問題●

●そもそもこの評論文における「ルサンチマン」とは?●
 この文章での「ルサンチマン」とは、「知性主義という卓越者」VS「反知性主義」という構図から生まれた「卓越者に対する憎悪」の心情である。

 にもかかわらず、大手予備校の大半が、「ルサンチマンが圧倒的な覇権をもつ」ということの説明を「ルサンチマンが知性と結びつくこと」という解釈をもとにして、正解を作成してしまっている。

 これは致命的な読み違えであり、論理というものが二項対立の構造から組み立てられ、それを土台にして評論問題が作られていることを前提にすれば、そのようなミスは絶対に犯すはずはなく、それほどに今回の小問四は、T進やK塾といった大手予備校の講師にとって難問だったということか。

●「反知性主義」が憎むのは知性ではなく、「知性主義」という知性を権威化したエスタブリッシュメントたち●
 そもそも、今やアメリカ社会を席巻している「反知性主義」とは、分かりやすく表記すれば「反・知性主義」のことであり、あたかも「知性」そのものを憎悪するかのような反「知性」では決してない。このことをしっかり理解しておこう。

 この場合における「知性主義」者とは、「知性」を権威化することで「知性ある者」は当然、優越者・卓越者として社会を指導するエスタブリッシュメントとして相応しいと考える人たちの事。  以上からすれば、「反知性主義」が最初から知性が欠落した思想として考えた挙句に、先ほどの予備校のような「反知性主義におけるルサンチマンが知性と結びつく」というあり得ないミスは犯さずに済む。

 28年度に東京大や大阪大がともに評論問題として「反知性主義」を取り上げた程に、しばらくは「反知性主義」という言葉から目を離せない。

28年度大阪大学の評論 二問目は、28年度東大・京大・名古屋大と同じシンプル構造!  但し、問Ⅰの小問四同様に、問Ⅱの小問四でも明示されていない情報を全体の論理構造から推論すべし!

★消費者マインドに支配された若者は「学ぶ能力」まで失うか? という話★
 平成28年度大阪大学二次試験(文学部以外の文系:法・外国語・経済・人間科学)の「国語」評論問題Ⅱ⃣(出典:内田樹氏『街場の戦争論』一部改変)。

★全体の論理構造★

●本文の前半について(二つの軸が交差する論理構造)
 始めに、二項対立軸の交差という「評論スキーマ」を読解の前提に、全体の論構造を成すキーワードを拾っていこう。

 第2段落最終文に現代の若者(この段落では①無収入の修業は嫌がるが、専門学校には金を平気で払う若者、②第9段落では自分の才能に自信がないから二流三流の先生を探す若者、のことを指している)の心理に内面化された「消費者マインド」とあり、第6段落冒頭文「弟子」は消費者の「対極」にあると述べている。そこで、「消費者(マインド)」VS「弟子(の心構え)」という軸が形成される。

 次に、第4段落6行目に買い手の「全知全能」があり、第7段落冒頭文に弟子の「無智と無能」があるので、「全知全能」VS「無智無能」というもう一つの軸が形成される。

 つまり、「消費者(マインド)」VS「弟子(の心構え)」という軸、「全知全能」VS「無智無能」という軸の二つの軸の交差する論理構造が大阪大学2問目の評論である。

 この論理構造の骨格に、第5段落2行目の金を出して商品を知ったかぶりして得られる「安心」と、同じく6行目の商品知識のないことで生じる「不安」という二項対立した語を正しく配置していく。ここまでが、第10段落までの内容だ。

 ただし、第8段落で弟子の「無智無能の自覚」が、「人の弟子になれる才能」「ものを習う才能」そのものだと「 」付きで強調しているのを見逃さないこと。
 というのも、後半の第11段落以降で、消費者マインドに侵された現代の若者たちの「自分に才能がない」という発言の裏側に隠されている「自分はすべてを知っているという意識(=全知全能の意識)」と対立的なものとして、弟子の「無智無能の自覚」に関する考察が続くから。

●「全能者」の振りをする若者たちには「ものを習う才能がない」という論理
 さて、第11段落から最終段落まで、若者たちは「自分には才能(=能力)がない」と言いながらも、その発言は実は「その道の才能の何たるかを自分は知っているのだ」という「全能の表白」にほかならないという筆者独自の見解が述べられている。
 「その道の才能」が何たるかを知っている(と思い込んでいる)全能なる若者は、二流三流の先生を探して「弟子」となるわけだが、ここで先の第8段落の内容を思い出してほしい。

 第8段落では「無智無能」の自覚こそが「人の弟子になれる能力」「ものを習う能力」と筆者は述べている。したがって、消費者として二流三流の先生に師事して金で安心を買う一方で、自分のことを「全能」だと思っている若者たちには、本文には明示されていないが、「人の弟子になれる能力」「ものを習う能力」を持ち合わせていない者たちなのだという筆者の考えが容易に推論できるのである。

●小問四では「ものを習う能力の欠落」が完解・完答を出す鍵!
 「無智無能の自覚」こそが「ものを習う能力」➡「全知全能の意識」は「ものを習う能力の欠如」、という明示されていない筆者の論理的な展開を、図では薄緑の矢印で示している。この薄緑の矢印で示した論理的なつながりの構造を推論できるかどうかが、小問四傍線部(C)の解答のポイントとなる。

 つまり、二項対立的な論理構造を基盤とした「評論スキーマ」によって全体の論理構造を構築しながら、「本文に明示されていない情報」までも推論していけるかどうかが、大阪大学の評論問題では常に問われる。

★小問の解説★
 小問一の漢字問題は省略。基本的な漢字のみ。次からは小問二からの解説である。

小問二 傍線部(a)の解説「安心」と「不安」の二項対立
 現代の若者に巣くう「消費者マインド」の考察。傍線部(a)の直前にある二つの文にある「安心」と「不安」の二項対立的論理を骨格にして解答を作成すればよい。

 ここでの「安心」とはお金を払って商品を買うとは、買う商品の価値や有用性、使途といった商品の情報を自分や熟知しているという自分の全知全能ぶりを確認して得られる安心のこと。

 一方、「不安」とは自分が直面する何かが「よくわからないもの」という自分の無智無能ぶりをさらけ出す不安のこと。それらを理由説明としてまとめる。図の丸囲みには教育商品に金を出す若者も含まれるが、この設問は「消費者マインド」についての問題なので、これらの若者に関して具体的に言及する必要はない。

正答:現代人の消費行動には、お金で商品を買うことで自分の置かれた状況に全知全能であるふりをして安心を得ようとする心理があり、そのことは消費社会に生きる人々が自分は何も知らないのではないかといった無智への不安にさいなまれていることの現れであるから。(120文字)

小問三 傍線部(b)の解説「無智無能」こそ弟子としての「才能」
 第6~8段落の内容を簡潔にまとめる問題。先生から習うことに対して無智無能であるいう自覚をもつことこそ、ものを習う人間の修業の出発点なのだ内容が書けていれば十分である。

正答:自分がこれから習おうとする未知のものを前にしたとき、自分は素人としてその意味や価値をわかるはずもないという無智無能の自覚をもつことが、弟子として人から何かを習い始める者として最も必要な能力であるから。(100文字)

★小問四 傍線部(c)「全知全能」のふりをする者に「学ぶ能力」はない
 傍線部(c)中の「そういうこと」とは、「才能の何たるかを自分は知っているんだ」という「全能の表白」であるのに、表向きは「自分には才能がない」と嘯いている現代の若者の発言を指している。

 ただし、この設問では、そのような若者の自己欺瞞性に筆者が思い至ったという内容だけを中心に説明しただけの解答は、「~いけない」と思った筆者の危惧の念を抱く理由説明として不十分である。

 全体の論理構造の解説でも言及したが、小問三の「無智無能の自覚こそが学ぶ能力である」という考え方は、その対極にあるものとして「全能の表白は人から何かを学ぶ能力の欠如を示す」という考え方にまで及ぶことを、図の論理構造を確認しながら改めて理解しよう。

 本文中には明示されていないが、「評論スキーマ」で身に付けた対立的な概念を常に想定しながら読むと習慣があれば、消費者マインドに支配されて全能のふりをしたがる若者には学ぶ者としての能力や資格が欠如しているという筆者の考えが、学ぶ能力をもった弟子の心構えと対照的なものとして本文から容易に推論できるはずである。
 
正答:自分には才能がないと言う若者の心理には物事の価値を俯瞰的に眺めて正しく評価できるといった全知全能を装う傲慢さが隠されており、その傲慢な態度こそが専門的な道を歩むために必要な才能の欠如を表すものだから。(100文字)

29年度(2017年) 名古屋大学「大問一」の「論理の構造」は、非常にシンプルでしたね。

★日本は人口減少を恐れる必要ないよ、という話★
 平成29年度名古屋大学二次現代文「大問一」評論問題。 出典は山﨑亮氏「豊かな「縮充」社会へ」です。日本の適正人口は四千万人程度であるが、地域に貢献する人が増えれば大丈夫だよという楽観的な文章でした。この考え方を筆者は「縮充」と銘打っています。

★全体の論理構造について★
 次の図は、全体の論理構造の前半(各形式段落毎に番号を振り、前半は形式段落⓵から⑦まで)です。

 さて、形式段落①の1行目「量的拡大から質的向上へ」という表現から、一つの二項の対立軸である「量的拡大VS質的向上」が現れ、次の形式段落②では「人口増加VS人口減少」というもう一つの二項対立軸が現れ、これで本文全体の論理が「量的拡大VS質的向上」と「人口増加VS人口減少」の交差する構造であると予測できます(実際に、本文の終盤である形式段落⑰以降を読んでも、この論理構造をそのまま引き継いで論述されていますから、この評論の全体の論理構造は非常にシンプルでした)。

 名古屋大の評論問題文の「論理の構造」や展開の仕方は、主張の論拠となる途中部分が長いわりにシンプルですが、その意味で、本年度の「大問一」は平成28年度九大二次試験の国語問題「大問一」とよく似ています。
(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)

 形式段落③では「質的向上」が「質の高い生活」の実現のことであり、形式段落④では日本の適正人口は江戸から明治のかけての人口である4000万人程度だとしています。

 形式段落⑤では、政府や経済界が現状の社会構造・産業構造を変えたくないから、日本の人口減少を問題視し、一億人を下回るのは危機的状況だと煽っている、と筆者は断じています。このような政府や経済界の考え方では、人口三億人になれば二億人まで減少することを「危機的状況」と騒ぐのだろうと、形式段落⑥で筆者は政治家たちをやや皮肉ってみせ、形式段落⑦で人口の上手な「減らし方」、つまり「縮充」ということを提案するのです。

 以上までを全体の論理構造の前半とします。

★次の図からは、後半(形式段落⑧から最終⑲まで)の内容が加わって、全体の論理構造が完成します。
 形式段落⑧~⑬は、人口減少時代=筆者曰く「縮充時代」の抱える課題についてです。

 そして、その課題は形式段落⑧傍線部②を含む一文ではっきりと「行政依存型住民の意識」であるとされ、次の一文で「まちのことは行政にお任せ」という意識が成立したのは人口増加時代だと述べています。

 さて、形式段落⑬の最後の一文に「こうした課題が人口増加時代に生まれた~」とありますから、形式段落⑨から形式段落⑬までの間、「人口増加時代」がどのようにして「行政依存型の住民意識(本文では「行政依存型住民の意識」)を生み出してきたか、についての説明が続いているということです。
(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)
 形式段落⑨・⑩で、江戸時代から戦前までは地域住民が「自分たちで地域社会を運営するという意識」を、「結」「講」「連」「座」や隣組・町内会のような仕組みを基盤にして、持っていたと筆者は述べています。

 しかし、戦後のGHQの指導や高度経済成長期到来などによって地域住民の協同的な活動の機会が喪失(形式段落⑪・⑫)することとなり、さらにその結果、地域社会における人間関係の希薄化が起こり、また、地域住民の協同的な機能が産業化されるなどの状況が生まれたと、筆者は形式段落⑬で指摘していきます。

 つまり、形式段落⑧~⑬では、戦後の人口増加時代における地域社会を取り巻く状況の変容が、「縮充時代」の課題である「行政依存型の住民意識」の生じた理由として語られているのです。

 さて、形式段落①から形式段落⑬までを簡潔に要約すれば、次のようになります。

●形式段落①~⑦
 人口減少時代の今こそ、質の高い生活を実現するチャンスだ。
➡そのために、上手な人口の減らし方を考えよう(「縮充」という考え方)!

●形式段落⑧~⑬
➡だが、「縮充」政策の推進には課題がある。
➡それは、戦前まであった「地域住民の協同的な活動に対する意識(まちのことは自分たちで何とかする)」が、戦後に変わってしまったことだ。
➡戦後(=人口増加時代)、GHQの指導や高度経済成長期などにおいて地域の協同的活動の機会が喪失したのだ。
➡つまり、縮充の推進には人口増加時代に生じてしまった「行政依存型の住民意識」が課題なのだ!

 形式段落⑭以降では、人口減少時代に質の高い生活を実現するため「行政依存型の住民意識」から脱却して地域のために活動する人たち、つまり「活動人口」を増やそう、と提案します。

 つまり、筆者は戦前までの地域社会には存在した「自分たちで地域社会を運営するという意識」が戦後に「行政依存型の意識」となってしまったことを、人口減少時代における「縮充」にとって解決すべき課題と考えます。だから今度は、「行政依存型の意識」から「自分たちで地域社会を運営するという意識」へと回帰すべきだと主張するわけです。

●本年度の評論問題の特徴
 形式段落⑭~最終⑲の論理構造は、形式段落①~④で既に構造化した論理に、地域の協同的な活動に参加する「活動人口」を増やそうという提案が加わっただけで、論理構造は基本的にまったく同じです。つまり、形式段落①~④で構造化した「人口増大VS人口減少」「量的拡大VS質的向上」の交差する論理に、「自分たちで地域社会を運営するという意識 VS 行政依存型の意識」を重ねていけば、筆者の主張を成り立たせている全体の論理構造となります。

 さらに、筆者の言う生活の「質の高さ」「豊かさ」他者との人間的な心の交流や絆を念頭に置いていることが、形式段落⑯終盤の2文「少なくとも私は~友達が増えそう~楽しいことが多そう~老後も助け合って生きて~」から明らかに理解できます。

 一般的に、評論や説明文に本文のような「~生活したい」「~生きていける気がするからだ」といった筆者自身の心情(願望や欲求など)が語られている箇所は、筆者の主張を理解する上でとても重要なポイントになります。

★小問の解説・解答★
●小問一は、漢字の読み書き問題。すべて標準的なレベルの漢字ばかりです。
aヤミクモ b推奨 cヤユ dアオ eタキ f据 g陳情 hマレ i携 j醸成

●小問二(理由説明問題)
 まずは次の図を確認しながら、説明を読みましょう。正答例は青フォントで示しています。
(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)
 形式段落③の冒頭に「そう考えると」とあり、指示語「そう」は図中の「人口増大VS人口減少」+「量的拡大VS質的向上」の論理構造を指しています。この考え方が、傍線部の直後文中の『チャンス』なのです。『チャンス』という表現は同じ形式段落③三行目「質の高い生活が実現できる契機」における『契機』という表現がつながっています。

 したがって、「良い方向に進んでいる」と筆者が考える理由は、「人口増大VS人口減少」+「量的拡大VS質的向上」の論理(捉え方、考え方)が「質の高い生活が実現できる」ことにつながっていることを記述すれば良いのです。

正答:量的な拡大を求める人口増大の時代から質的な向上を目指す人口減少の時代へと変わることが、より質の高い生活の実現を人々にもたらすことになるから。(70文字)

●小問三A・B(空欄補充問題)
 まずは次の図を確認しながら、説明を読みましょう。
 
 形式段落⑤で、政府や経済界が現状の社会構造・産業構造を変えたくないから、日本の人口減少を問題視し、一億人を下回るのは「危機的状況」だと煽っている、と筆者は断じています。
(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)
 このような政府や経済界の考え方では、人口三億人になれば三億人に見合う社会構造や産業構造を保持するために、一億人を二億人まで減少することを「危機的状況」と騒ぐのだろうと、形式段落⑥で筆者は政治家たちをやや皮肉ってみせてます。

 常に人口が減ることを「危機的状況」と騒ぐ政府や経済界のこの発想や心理が、空欄Aの手がかりです。また、政府や経済界が「人口減少は危機的状況だ」という考えに固執し、常に信じ込んでいる頑なな態度・姿勢を踏まえれば、空欄Bにふさわしい語は何かが分かりますよね。

 そして、形式段落⑦では人口の上手な「減らし方」、つまり「縮充」ということを提案するのです。

正答:A ウ    B コ

★小問四・五(内容説明問題)
 まずは次の図を確認しながら、説明を読みましょう。

 形式段落⑧~⑬は、人口減少時代=筆者曰く「縮充時代(=人口減少時代)」の抱える課題についてでした。
(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)
  全体の論理構造(後半)で既に説明しましたが、小問四・五に該当する論理の流れ(形式段落⑧~⑬)は次の通りでした。

「縮充」政策の推進には課題がある。
➡それは、戦前まであった
「地域住民の協同的な活動に対する意識(まちのことは自分たちで何とかする)」が、戦後に変わってしまったことだ。
➡戦後(=人口増加時代)、GHQの指導や高度経済成長期において地域の協同的活動の機会が喪失したのだ。形式段落⑪・⑫
➡つまり、縮充の推進には人口増加時代に生じてしまった「行政依存型の住民意識」が課題なのだ!

 ここには「自分たちで地域社会を運営するという意識 VS 行政依存型の意識」という論理の構造がありました。つまり、戦前までの地域社会には存在した「自分たちで地域社会を運営するという意識」が戦後に「行政依存型の意識」となってしまったことが、人口減少時代における「縮充」にとって解決すべき課題というわけです。

 小問四と五は、それぞれ設問に該当する本文箇所(形式段落⑧~⑬)が重複していますが、両問の位置づけとして小問四が小問五を解くためのプロローグ(序章)になっていますね。

 小問四(傍線部②「縮充時代の課題」)は字数制限が30文字と少ないので、「自分たちで地域社会を運営するという意識 VS 行政依存型の意識」という論理構造のうち、地域住民の「行政依存型の意識」のみに絞れって記述すれば十分です。

 小問五(傍線部③どのように変わったのか、その原因と結果)は、図を見れば明らかでしょう。「自分たちで地域社会を運営するという意識 から 行政依存型の意識へ」という意識変化の背景となった戦後の社会状況として、GHQの指導や高度経済成長期の産業構造が招いた「地域における協同的活動の機会の喪失」を原因に、「人間関係の希薄化」などを結果として記述すれば良いのです。

小問四
正答:地域住民の意識が人口増加時代に形成された行政依存型である点。(30文字)

小問五
正答:戦後のGHQの指導や高度経済成長期の産業構造の変化によって地域住民による協同的な活動の機会が失われていった結果、地域内での人間関係が希薄になるとともに住民自身が担うべき機能や役割が産業化されていった。(100文字)

★小問六(内容説明問題)
まずは次の図を確認しながら、説明を読みましょう。

 「縮充時代に応じた地域社会」の在り方を筆者の主張に沿って説明する問題です。

 形式段落①~④で既に構造化した論理のうち、「人口減少時代」➡「質的向上」の構造に、形式段落⑧の「まちのことは自分たちで何とかする(自分たちで地域社会を運営するという意識)」、並びに「地域の協同的な活動に参加する「活動人口」を増やそう(形式段落⑭~⑯)」という筆者の提案を加えれば良いのです。

(図のあとに続く☛)

(☚前に続く)
 さらに、筆者の言う「質の高さ」「豊かさ」が他者との人間的な心の交流を念頭に置いていることが、形式段落⑯の終盤の2文「少なくとも私は~友達が増えそう~楽しいことが多そう~老後も助け合って生きて~」から明らかに理解できます。この要素を、記述に含ませることがポイントです。

 このように、評論や説明文に「~生活したい」「~生きていける気がするからだ」といった筆者自身の心情(願望や欲求など)が一人称で語られる表現は、一般的に筆者の主張の強さを示しているので着目すべき重要な箇所です。

正答:多くの人々が地域社会の協同的な活動に主体的に参加し、人間的な交流を介して質的に豊かな人生を送る社会。(50文字)

 以上で、29年度(2017年度)の名古屋大学国語問題大問一(評論)の説明を終わりますが、次のコラムも読んでください。

コラム:評論文で求めるのは、論理(情報と情報の関係性)を構造化する力

★29年度(2017年度)の名古屋大学国語問題大問一(評論)について
 例年通り、「論理の構造」がはっきりとしていて、読みやすいものでした。論理的な構造の骨格を成す二項対立(形式段落①「量VS質」、形式段落②「増加VS減少」)の価値体系が冒頭から明示されています。

 その意味では、大学入試で現代文評論の記述式問題を解くことになる高校生にとって、論理を構造化して読む習慣を身に付けるための最良の練習問題となります。

★ほぼ二分される二次の評論問題(ひとまず、国公立や旧帝大系の二次評論問題を例にして)
 本年度、大学入試センターから公表された共通テストのサンプル問題(現代文)は、記述式もマーク式も複数の素材を用いて論理を構造化(論理的思考力)する力の測定を主な狙いとしています。

 ここでいう「論理」とは素材に示された「複数の情報の関係性」を表していますが、複数の情報の関係から素材文の語る論理を構造化していくという点では国公立二次試験の現代文の同じです。

 ただ、昨年度や今年度の評論問題の傾向を振り返ると、現代文読解における「論理の構造化」は大きく二つに分けられるようになってきました。

 ひとつは、言語表現として素材文の中に明らかに示されている言語情報相互の関係性(これは二項対立の価値体系軸が基本です)を読み取って、全体の論理を構造化して完結する従来型の問題です。旧帝大に限れば、昨年度や今年度の北海道大学名古屋大学九州大学の評論問題がこのタイプの問題です。

 もうひとつは、素材文が与える言語情報に対して受験者自身がもつ既有の情報(政治、経済、文化など多岐にわたる分野に関する知識)を統合することで二項対立の価値体系軸を完成させながら、設問が要求する論理へと構造化(これを「推論による論理の構造化」と呼ぶ人もいます)を発展させていく問題です。

 この新しいタイプの問題は、従来型より高次な思考力(創造的・発展的な思考力)を測定しようとする意図があります。東北大学大阪大学は昨年度からこのタイプの問題を大問一の最終設問として出題しており、京都大学の随筆や東京大学の評論問題も今年度あたりからこの傾向が出てきています。

★今後について
 既に、文科省が高大接続改革の一環として高次の思考力を問う問題を二次試験に求めていますから、今後、こういった新たなタイプの評論問題が増えていくと予想されます。

 したがって、高校生の皆さんは、名古屋大学などの従来型の問題を解くことで「論理の構造化」に慣れていき、そののちに大阪大学や京都大学ような新しいタイプの問題に習熟していくのも、現代文の学習のやり方として良いと思います。

28年度 名古屋大評論も二項対立の構造がはっきりしている!

★ゴリラのもつ社会性は人間社会の平和に活かせるか!? という話★

 平成28年度名古屋大学二次試験(法・外国語・経済・人間科学部)の「国語」評論問題1⃣(出典:山極壽一氏『負けない構えの美しさをゴリラに学ぶ』)。山極氏はゴリラ研究の第一人者で現在、京大総長。フィールドワーカーの知見を基にした文章は、の理学部・医学部といった理系も対象した評論文として、非常に分かりやすい。同じく、理系対象に評論を出題した京大と同じく、高校の教科書でいえば高2レベルの文章である。。

★全体の論理構造★
 次の図は、全体の論理構造の前半(形式段落①~⑧)である。
 第8段落まではゴリラとニホンザルの社会性を二項対立で考察している。両者とも「群れ社会の平和と秩序の維持」という目的は同じだが方法が異なる。その方法を社会性という観点から「視線のもつ意味」に焦点を当てて考察している。「勝敗という横軸」「平等・不平等の縦軸」が交差するという非常に分かりやすい構図である。

★次の図からは、後半(形式段落⑨以降)の内容が加わる。
 前半のゴリラとニホンザルの論理構造を後半も踏襲し、縦軸の両極それぞれに「敗者への配慮」「孤立」という、人間社会ならではの社会的な関係性が加えられている。

★小問の解説★
 小問一の漢字、小問二の副詞・接続詞の穴埋め問題は省略。

小問三
 ゴリラのシリーと目が合った際に、筆者がニホンザルの視線の意味と同じだと考えたということ。易しい部分解釈問題であり、ブルーの丸囲みの枠内を文章化する。

正答 :ゴリラのシリーの視線の意味をニホンザルが勝敗を決するために視線を合わせるのと同じようにとらえたから。(50文字)

小問四
 第6段落内にある「ドラミング」の説明の確認問題。これも高1でも解ける易しさなので解説は省略。
正答 :ア・ウ・エ

小問五(1)以降の解説を分かりやすくするために、冒頭で示した全体の構造図(本文の展開に沿って作成したもの)の後半★ゴリラの社会性から人間が学ぶもの★の横軸「勝とうとする態度VS負けまいとする態度」の左右を逆転させていることに注意!

小問五(1)
 ニホンザルと対立的に描かれたゴリラの社会性と人間との共通点を述べる。図の問五(1)が対象とするブルーの丸囲みの枠内を記述する。

正答:互いに顔を合わせた意思の疎通を図り、仲裁者の介在によってトラブルも回避しつつ対等な関係を維持する点。(50文字)

小問五(2)
  ゴリラとの違いを答える問題だが、興味深いことにニホンザルの社会性と近似した内容となる。図の問五(2)が対象とした枠内だけを答えるのでなく、ゴリラ社会の平等性を重視するという点を対比させながら記述すると設問の趣旨に沿うことになり、同時に勝敗によって勝者が孤立するという点にまで言及すればかなり得点が高くなる。

正答:ゴリラ社会では互いの対等な平等性が徹底して求められるが、人間社会では相手より優位に立とうとする傾向があり、結果的に勝者が孤立する場合がある。(70文字)

小問六
 小問五(1)とかなり重複する問題だが、理想的な人間社会の在り様という視点からまとめるよう心がければよい。

正答:勝敗による優位性のみを重視するのでなく、敗者への配慮を怠らないという点から直接に顔を合わせたり、時には仲介者を交えたりするといったコミュケーションを図りながら対等な関係を構築することで、平和と秩序の維持を可能にする社会。(120文字)

●次は、全体の論理構造と各小問が対象にする箇所を示した図。

※評論スキーマとしての二項対立の軸の存在を予め想定して読むことが効果的なことがよく理解できる問題である。同様な論理構造をもつ問題は、同じく28年度・29年度の東大、京大、大阪大、東北大、一橋大、九大などの評論であり、演繹的な推論を促進するスキーマの汎用性なしにこれらの評論問題に対応するのは難しい。したがって、名古屋大を受験するものも、これら他の大学の評論にも目を通しておこう。

コラム:対立的な視点や概念を表す語句を予想して読むことの大切さ!

 

★入試評論では序論➡本論➡結論という論の展開パターンがほとんどない★
 今回の平成28年度東北大学二次の評論は、最終段落で「売買が不可能な地球的自然」という視点が唐突に出てきて、それが全体の論理構造に関わる小問(五)となって問われている。この唐突感は、平成28年度大阪大学二次の評論でも最終段落になって「反知性主義の心情を微妙に舵取りする政治権力」という視点が提示され、それが全体の論理構造に関わる小問(四)となっているのと非常によく似ている。

 これは、入試の評論問題が、試験時間と字数の制限のなかで素材を切り取った結果、よく起こる現象である。本来は、その切り取った後も筆者の内容は続くが、字数の関係で切り取られて無くなってしまう。東大はそのような切り取り方を滅多にしないが、このように全体の論理構造の柱になるような視点が本文の最後に突然現れるような例を、平成28年度の大阪大や東北大の評論問題でしっかり確認し、受験生としての「経験知」にしておこう。

★対立的な視点や概念を想定して先を読む★
 東北大二次評論の終盤に言及される「売買が不可能な地球的自然」という視点の唐突な現れ方に話を戻す

 最終段落直前まで、「貨幣」など商品化されて売買可能な「三大擬制商品」の例が繰り返されているということは、「評論スキーマ」的観点から入試評論を読む習慣がついた受験生なら、「売買可能」と対立する「売買不可能な事物」がいずれ論の展開のなかで現われると想定しながら先を読んでいるはずだ。したがって、「売買が不可能な地球的自然」という視点が最終段落で語られたときも、それを見逃さずに全体の論理構造の縦軸としていく。

 大阪大学二次評論の解説でも、「反知性主義」が語られたら本文中には必ず「知性主義」に関する内容も語られているはずと、対立的な視点や概念を想定して読むことの大切さを述べたが、そのように問題文を読む習慣を「評論スキーマ」を学ぶことで身に付けてほしい。